大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 平成5年(ワ)814号 判決

原告

高田政彰

原告

高田京子

右両名訴訟代理人弁護士

由良数馬

被告

伊丹市

右代表者伊丹市病院事業管理者

門根謙介

右訴訟代理人弁護士

岡野英雄

主文

一  被告は、原告各自に対し、それぞれ金八二五万円及び内金七五〇万円に対する平成四年一一月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告各自に対し、それぞれ金一六五〇万円及び内金一五〇〇万円に対する平成四年一一月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告両名の長男が被告の設置する病院に入院中に、右病院の看護婦の過失により死亡したとして、原告両名が被告に対し、診療契約上の債務不履行(不完全履行)又は不法行為(民法七一五条)による損害賠償請求権に基づいて慰謝料等を請求した事案である。

一争いのない事実

1  原告高田政彰(以下「原告政彰」という。)、原告高田京子(以下「原告京子」という。)は、平成四年一一月一九日に死亡した高田佳佑(死亡当時四歳。以下「佳佑」という。)の父母である。

2  佳佑は、昭和六三年六月一四日原告両名の長男として出生したが、生後八か月ころになってアイセル病(ムコリピドーシスⅡ型)という先天性代謝異常の障害があることが判明した。

3  そのため、佳佑は、病院への入退院を繰り返す状態が続いていたが、呼吸困難を伴うようになったため、平成三年一一月被告の設置する市立伊丹病院(以下「本件病院」という。)に入院し、ナースセンター前の三一七号室の個室で、人工呼吸器を装着したまま療養を続けるようになった。

4  右人工呼吸器には警報器(以下「アラーム」という。)が取り付けられており、佳佑が動いたりして人工呼吸器が佳佑の体からはずれた場合にはこれが鳴るしくみとなっていた。

そして、佳佑を入浴させる場合には、人工呼吸器をはずし、手動の道具で酸素を送って呼吸させていたが、アラームのスイッチをオンにしたままの状態で人工呼吸器をはずすとアラームが鳴ってしまうので、アラームのスイッチをオフにしたうえで人工呼吸器をはずしていた。

5  平成四年一一月一九日午前、当日の担当看護婦阪野恵子ら三名は、佳佑を入浴させたが、その際アラームのスイッチをオフにして人工呼吸器を佳佑から一旦はずし、入浴終了後、人工呼吸器を佳佑の体に装着したものの、アラームのスイッチをオンにしないまま、同日午前一〇時四〇分ころ佳佑の病室を出た。ところが、その後、人工呼吸器の接続部がはずれて佳佑は呼吸困難の状態に陥ったが、アラームのスイッチが切れていてこれが鳴らなかったために、看護婦らがこれに気付くのが遅れ、同日午前一一時二〇分になってようやく事態に気付いたが、時既に遅く、結局、佳佑は同日午後〇時一〇分、呼吸不全により死亡した(以下「本件事故」という。)

6  原告両名は、佳佑が平成三年一一月に本件病院に入院した時点で、同人を代理して、被告との間で、当時の医療水準に従った適切な治療を受けることを内容とする診療契約を締結した。

7  原告両名は、佳佑の相続人である。

8  本訴請求は、原告それぞれについて、慰謝料一五〇〇万円(佳佑の慰謝料請求権を相続したものとして又は民法七一一条による父母としての固有の慰謝料請求権として)及び弁護士費用一五〇万円の合計一六五〇万円並びに右慰謝料額に相当する佳佑死亡の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるものである。

二争点

本件事故で佳佑が死亡したことによる慰謝料額はいくらか(原告らの請求額 各原告について一五〇〇万円の合計三〇〇〇万円)。

被告は、医療過誤事故による死亡の場合には、被害者はもともとある程度の危険を受忍すべきものであるから、交通事故による死亡の場合よりも慰謝料額は割り引いて決定されるべきであるうえ、アイセル病(ムコリピドーシスⅡ型)に罹患している場合には六歳を超えて生存する可能性はほとんどないのであり、本件事故当時の佳佑の余命もわずかであったのであるから、慰謝料額は相当程度減額されるべきであるし、また、被告は難病の佳佑のために経済面を含めて献身的に尽くしてきたのであるから、このことも慰謝料額を減額する要素として考慮されるべきであると主張する。

これに対し、原告らは、医療過誤の場合のほうが交通事故の場合よりも慰謝料額が低いと一般化することはできず、個々のケースにより具体的に検討すべきものであるところ、本件事故は治療上の過失ではなく、介護における初歩的、基本的なミスによるものであり、担当看護婦らには重大な過失があったというべきであるから、いわゆる典型的な医療過誤事案と同列に論じることはできないし、また、余命が短いことを慰謝料の減額要素とすべきではないと主張する。

第三争点に対する判断

一慰謝料額

1 前記第二の一の2から5の事実に照らすと、佳佑は呼吸困難のために人工呼吸器を装着したまま療養を続けており、人工呼吸器が佳佑の体からはずれると同人の生命に対する重大な危険が生じる状況にあったのであるから、本件病院の担当看護婦は、万一人工呼吸器が佳佑の体からはずれた場合においても、周囲の者が直ちにこれに気付くように人工呼吸器のアラームのスイッチを入れておくべき注意義務があった。しかるに、担当看護婦は、右注意義務を怠り、佳佑の入浴が終了し、人工呼吸器を同人の体に装着した際に、右アラームのスイッチを入れるのを失念した過失により、その後人工呼吸器の接続部がはずれ、佳佑が呼吸困難の状態に陥ったにもかかわらず、アラームが鳴らないためにその発見が遅れ、結局同人を死に至らしめたものということができる。

したがって、被告は不法行為責任(被告の被用者である担当看護婦の不法行為に基づく民法七一五条の使用者責任)に基づいて、本件事故によって佳佑に生じた損害を賠償する義務がある。

2 そこで、佳佑の取得すべき慰謝料額について検討する。

(一)  慰謝料を減額する要素

(1)  〈書証番号略〉によると、アイセル病(ムコリピドーシスⅡ型)の予後は不良のことが多く、呼吸器感染や心不全等で多くの症例では四歳から六歳で死亡し、これを超えて生存する可能性は極めて少ないことが認められる。したがって、佳佑も本件事故当時四歳であったから、その余命もわずかであった可能性が高かったというべきである。

そして、死亡による慰謝料額の算定にあたっては、余命が短いことは慰謝料額を減額する一要素となるものと考えるべきである。原告らは、余命が短いことを慰謝料の減額要素とすべきではないと主張するけれども、死亡による慰謝料には将来を奪われたことによる精神的苦痛を補償するという要素があるのであるから、余命も考慮されてしかるべきであるし、また、〈書証番号略〉によると、交通事故による損害賠償請求訴訟の実務においても、死亡慰謝料の算定においては被害者の余命が考慮されていることがうかがわれるのであるから、原告らの主張は採用することができない。

(2)  〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によると、被告は原告らの経済的負担を軽減するために、入院個室料金を減額し、治療費の原告らの自己負担をなくすように努めるとともに、看護の目が行き届くように、ナースセンター前の個室を佳佑にあてがう等の配慮をしてきた。

(二)  慰謝料を増額する要素

(1)  〈書証番号略〉、原告ら各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

ア  本件事故の約三か月前にも、人工呼吸器が佳佑の体からはずれ、同人がチアノーゼ症状を呈するという事故があったが、このときも人工呼吸器のアラームのスイッチがオフにされていた。

右事故の翌日、主治医と看護婦長が原告らに謝罪したが、その際、主治医らは今後はアラームのスイッチは切らないようにすると述べた。

イ  しかし、その数日後、再びアラームのスイッチがオフにされていたことがあり、原告京子が看護婦に注意を促した。

(2)  本件においては、人工呼吸器が佳佑の体からはずれると同人の生命自体が脅かされる状況にあったのであるから、担当看護婦が負っていた人工呼吸器のアラームのスイッチを入れておくべき注意義務は、極めて重大かつ基本的な義務であるとともに、わずかの注意さえ払えばこれを履行することができる初歩的な義務であるということができる。

しかるに、本件では担当看護婦がこの注意義務を怠ったのであるから、それ自体で重大な過失があったというべきであるが、さらに、右(1)のとおり以前にも同様の事故があり、本件病院側も本件のような事故が生じる可能性を十分認識し得たにもかかわらず、再び本件事故を惹起したのであるるから、その責任は重大であり、慰謝料額の算定にあたっては、この点は看過し得ないところである。

(三)  〈書証番号略〉によると、大阪地方裁判所交通部における実務の実情をもとに大阪弁護士会交通事故委員会がまとめたところによれば、大阪地裁交通部の交通事故による損害賠償請求訴訟における死亡慰謝料の基準は、世帯主以外の者の死亡の場合で本人分及び近親者分を含めて一八〇〇万円から二二〇〇万円(平成三年の基準)であることが認められる。

(四)  したがって、本件事故による佳佑の死亡慰謝料も、右(三)の基準をひとつの目安として(なお、被告は、医療過誤事故による死亡の場合は、交通事故による死亡の場合よりも慰謝料額は割り引いて決定されるべきであると主張するけれども、本件事故は治療上の過失ではなく、看護上の過失が問題となっているものであるうえ、その過失の内容も、右(二)でみたとおり、初歩的かつ基本的な注意義務に違反した重大なものであるから、本件事故を治療上の行為が問題となる医療過誤事案と同列に扱うことはできず、したがって、本件事故が医療過誤事故の一類型であること自体をもって相応の減額をすべきであるとまでいうことはできない。)、前記(一)及び(二)で検討した事情その他本件に現れた諸般の事情を考慮して決すべきであり、この観点からすると、本件事故による佳佑の死亡慰謝料額は、一五〇〇万円とするのが相当である。

3  したがって、原告らはそれぞれ右一五〇〇万円の二分の一にあたる七五〇万円の慰謝料請求権を相続によって取得したことになる。

二弁護士費用

本件事故と相当関係のある弁護士費用は、各原告についてそれぞれ七五万円が相当である。

三したがって、原告らの本訴請求は、不法行為による損害賠償請求権に基づいて、原告それぞれにつき右慰謝料と弁護士費用の合計八二五万円及び慰謝料七五〇万円に対する不法行為後である平成四年一一月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある(なお、原告らは民法七一一条に基づく固有の慰謝料請求権も主張しているが、本件事案においては、右請求権のみに基づいて慰謝料を請求しても、また、右請求権に基づく慰謝料と相続により取得した慰謝料請求権の慰謝料とを併せて請求しても、各原告について認容されるべき慰謝料額は、右一の3の認定額と同額とみるのが相当である。また、前記第二の一、第三の一の1の事実によれば、本件では被告の債務不履行責任(被告の履行補助者である担当看護婦の不完全履行)も認められるが、これに基づく損害賠償請求として佳佑の取得すべき慰謝料額も、本件事案においては、右一の2の認定額と同額とみるのが相当である。)。

(裁判官石井浩)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例